今日の気になった言葉
「防衛が人とのつながりを遮断する」
こう書くとちょっと難しいですね。
少し説明していきたいと思います。
私たちは生きていく中で日々傷つくことがあります。
それはこの世に生まれて、成長していく中でいろいろなことを体験します。怪我をしたり怖い思いをしたり、誰かと諍いを起こしたり、叱られたり、無視されたと感じたり・・・・
そういった体験は、「二度と傷つかないために」という項目で、脳の中に納められます。ちょうどコンピューターのハードディスクにデーターが収まっているようなものですね。
そして戦略が練られるのです。
二度と傷つかないためにはどうしたらよいのか?という戦略が。
これが防衛というものになって、私たちの心を守ってくれるのです。
ですがこの方法は人によって違います。
たとえば、ある人はけんかをしたときには、とても激しく人をののしるかもしれません。他の人はできるだけ速やかにその場を離れようとするかもしれません。
けんかということにおいて、全く違う行動をとるわけですね。
前者の人は、ののしることで相手を言い負かしたと感じ、自分の優位性を感じ、それで傷ついた部分を修復しようと試みるわけです。で、以前にそれが成功していると、それが自分のとるべき行動として脳の中に納められるのです。
反対に逃げる人は、君子危うきに近寄らずの行動が、自分を落ち着かせ、怖いものを見ないですむ、もしくはいち早く傷ついた心にふたをすることができると感じているのかもしれません。またそれしか自分の身を守る方法がないように感じているのかもしれません。
いずれにしろ、傷ついたことから自分を守る方法を人間はみんな編み出して、その戦略に則って日々生きていくわけです。
これが防衛と言われるものです。
ポジティブに考えすぎる人も、そのポジティブさが防衛になっていることもあります。
防衛には様々な形があります。
そしてこの防衛は、私たちが生きていく上でとても必要なものなのです。ですが、防衛が高すぎると、人とのつながりを持てないのです。
それはこのように考えてもらうとよいかもしれません。
自分の心に外から外敵が入らないように壁を作っている。
この壁が高ければ高いほど、壁の外にいる人と交流を持つことが難しくなります。
相手からすると壁が高いので、中が見えません。
見えないということは、相手が理解できず、同時に怖さを生みます。
理解できないので自分の経験の中から似ているものを選び出します。それがこの人はきっとこうに違いない!という誤解と思い込みを作るわけです。そして大概それは、悪い経験から選び出されることが多いようです。
かくして、塀の中の人とあまり仲良くしようとは思わないわけですね。
それが自分と塀の外の人との繋がりを薄くしたり、切れやすいものにしているのです。
反対に自分の壁の中身を見えやすくしている人は、他の人からすれば中身がわかるので安心します。また同じようなものをその中身に発見すると親近感を持ちます。それが人が近づいてくる動機となっているのです。
人が怖くて仕方がないという人は、自分の心の壁の高さがどれぐらいあるのか、計ってみるのもいいかもしれません。
また壁を低くする方法を考えるのもとても有効です。
でも、決してなくすことは考えないでくださいね。
防衛は必要なものですから、必要な防衛と必要でなくなった防衛の仕分け作業をするということが大切なことですから。