愛する人に頼りたい。

愛する人に甘えたい。

自分が困難な中に居るときには、手をさしのべて寄り添って優しく抱きしめていて欲しい。

そう思うのは人としてごく自然の当たり前の感情です。

これが自分に許すことが出来、相手からも許されて、いつでも甘えたいときに甘えられて、いつでも困ったときには「助けて」と言えて、そしてその願いを聞き入れてくれる。

このような状態にあることは、どれほど心安らかで、生きる事に勇気を持てることでしょうか。

人生の困難を生き抜くために神様が与えてくれた、夫婦としての、人間としての絆です。

ですが、パートナーが不倫をしたり、日々のすれ違いの中にあって、「助けて」と声を発したとき、又は発したかったときに相手が助けてくれなかった現実があると、人はとても傷つきます。

その経験が増えていくにつれて、もう相手には頼らないでおこうと思います。

そして、相手に頼るから、いつも期待を裏切られ、こんなに傷つくのだ。そんな甘い考えを持つ自分が悪いのだ。こんな風に思ってしまうのです。

クライエントさん達からの声でも、この「相手に頼る自分の弱さ」が聞こえてきます。

頼ってしまう自分が弱い。

頼らなくても生きていける自分で在りたい。

このように希望する人は多いですし、そう考えてしまうのは自然の流れかもしれません。

ですが。

心の奥底では泣いています。

涙が沢山流れています。

そしてこの傷が、相手から自分を遠ざけてしまうのです。

心の奥底にある涙が、トゲの有る言葉となって相手を攻撃したり、あるいは相手を低く見たり、相手を無視したりといった行動になってしまいがちです。

人の心とは不思議なものです。

本当は甘えたいのに、甘えてはいけないと思うと攻撃したくなるのです。

頼りたいと思ってもいいのです。

甘えたいと思ってもいいのです。

辛いときには寄り添って欲しいと頼んでもいいのです。

それが人としての持っている当然の感情だから。

生き抜くためのサバイバル術として備わっているものだから。

まずは自分にそのことを許してみませんか?

依存的な気持ちが自分の中にあるのだということを認めてみませんか?

心からそのことを認められたとき、気持ちは少し軽くなっているはずですから。

そして、そんな自分がとても愛おしく感じるはずですから。